ordinary day's
03.
JRという組織の中では特別な意味を持つ濃緑色の制服に身を包んだ、小さな子供。数年後に延伸、北陸の名を持つ事が予定されている長野新幹線の名を持つ子供は、慣れ親しんだ自身の発着駅である上野のがらんとした新幹線ホームの端を歩いていた。ホームには大した設備がない事もあって、発着の合間の時間は東京駅ほど混雑する事は無い。
まるで自分だけが此処に居るような、奇妙な寂しさと高揚を同時に味わいながら、長野はぐるりと周囲を見渡す。
東日本の先輩たちと共有する駅ということもあって、新幹線ホームだけでも相当に広い。もちろん起点たる東京駅との規模は比較するべきではないが、この場所の空気もまた、長野にとっては愛すべき日常風景だった。
今日はこのまま東京駅の高速鉄道詰所に戻って、終業時間まで書類仕事の予定だった。とはいえ、長野はまだ小さいから、と仕事に厳しいが長野には甘い東海道と、己の実質的な保護者である上越がその一部を肩代わりしている事を知っている。
頑張ってもまだ一人前ではない、と暗に告げられているようで、滅多に見せない東海道の柔らかな笑顔を見るたびに『早く大人になりたい』との思いを強くする。
とりあえず自分に出来ることから一歩ずつ、と心構えを新たにする長野の視界の端、ホームから降りる階段の隅にちょろちょろと動く黄色い毛玉がふたつ。
「……?」
なんだか見覚えがあるような、と首を傾げつつちょこちょこと近づいた長野の目の前には、やっぱり見覚えのある黄色い小さなひよこが二羽。
「やっぱりひよこさん!……じゃなくて、TOICAさんだ!」
大好きな東海道の可愛がっているひよこたちの姿に、長野は慌てて更に傍に駆け寄った。逃げちゃったらどうしよう、と駆け出してから思ったけれど、その心配は杞憂だったようで彼らはきょとん、と丸い双眸を長野に向けてその場に留まったままだ。
視線をなるべく合わせよう、と膝を折って屈みこみ、長野はそっと小さなひよこたちに己の手を差し伸べる。
「ええと、ぼくはながのしんかんせんです。とーかいどーせんぱいのところのひよこさんたちですよね?」
「「ぴい!」」
長野の問いかけに応えるように、二羽のひよこの小さな嘴から甲高い鳴き声が上がる。そのままちょこちょこと小さな足で長野の方に歩み寄ると、何の躊躇いもなくその指先にふわふわの羽を寄せる。
「このあいだはぶつかっちゃってごめんなさい、だいじょうぶでしたか?」
出会い頭に衝突してしまった過去を振り返ってぺこりと頭を下げれば、気にするな、とでも言うように小さな羽を震わせて長野の指先にすりつけた。
馴染み深い東日本の白黒ペンギンとはまた異なったその感触に、わあ、と口元に笑みを刻みながら、長野は先ほどとは別方向に首を傾げた。
この子たちはとーかいどーせんぱいのところの子で。
でもここは上野で東京駅じゃなくて。
とーかいどーせんももちろんいないし。
「ええと、まいご……ですか?」
「「……ぴぃ」」
いささか力ない鳴き声に、そう言えば東海道が無駄に行動力があって困る、とぼやいていた事を思い出した。多少過保護に過ぎる台詞と言えなくもないが、こんなちいさくて頼りない生き物に対してそう思ってしまう気持ちは長野にもわからなくはない。
「だいじょーぶです、ひよこさん!ぼくがとーかいどーせんぱいのところにつれていきます!!」
こう見えても高速鉄道の端くれ、どーんと任せろですよ!と胸を張る長野の足元で、元気よくひよこがぴいぴいと鳴く。第三者から見れば相当に微笑ましく、また滑稽な情景ではあったろうけれど、当人たちはとっても真剣で、またそれ故に余計に周囲の空気がほわほわと和む。
果たしてこの場に他者の存在が無かった事は僥倖だったのか、或いは不幸だったのか。
何はともあれ小さなひよこ二羽をその小さな手に抱え上げ、長野はちょうどホームに滑り込んでくる自身の車両「あさま」へと飛び乗った。行き先は東京駅、当初の予定の変更がなければ、彼らの主であり自身の先輩でもある東海道も其処に居るはずだから。
ちょっと我慢ですよ、と囁くようにひよこに告げて、長野は小さなひよこを上着の内側に入れ、下から零れおちないように上着の裾を押さえる。(残念ながら長野のポケットではひよこを入れるには小さすぎた、東海道先輩とお揃いの状況は捨てがたかったのに)
小さくて柔らかな温かいものが上着とシャツの間をごそごそと動く感触に、くすぐったいですよう、と呟く長野の口元は、責めるような響きとは裏腹に楽しそうにほほ笑みを刻まれている。
上野から東京まではほんの五分足らず。あっという間に馴染んだ東京駅のホームに停車した自身の車両から、最後の乗客が降りたのを確認してからぴょい、と飛び降りる。押さえていた上着の裾からひよこたちを取り出すと、なるべく人気のないところでホームに下ろしてやった。
「ぴい!ぴぴい!!」
「そーです、向こうはとーかいどーせんぱいのホームですよ」
線路をいくつか隔てた向こうに見える白地に鮮やかな青ラインの車両に安心したのか、長野の手から離れたひよこたちは多少元気を取り戻したようだった。彼らを先導するように歩きはじめた長野だったが、どうにもひよこの足取りは不安を覚える。
何せこの先は人が多いどころの騒ぎではない事を、長野は身をもって知っている。
「ひよこさんたち、やっぱりもうちょっとがまんですよ」
ひょい、と小さなひよこを両手に抱え、自分よりも大きな人々の間を潜り抜けるようにして改札へと向かう。改札口の手前にある関係者以外立ち入り禁止のドアを開ければ、自身の領域たるエリアといっても過言ではない。
更に足を進め、職員の姿もまばらな通路を右に折れれば、もうその先には重厚な木製のドアが見えている。そっとひよこ二羽を床に下ろすと、空いた手で長野はがちゃり、と慣れたドアを押し開いた。
「あ、長野おかえり」
すぐに此方に気付いたのは、トレイに急須と湯呑みを乗せ、他の面々に配っていた秋田だった。その彼から湯呑みを受け取りかけていた上越もその言葉に振り返り、ふわりと綺麗な笑みを浮かべた。
「ああ、おかえり長野。今日はちょっと遅かったじゃない」
「す、すみませんじょーえつせんぱい!」
慌ててぺこりと頭を下げれば、別に怒ってないよ、と苦笑したような声が届く。おずおずと顔を上げた先には、言葉通りに笑う上越と秋田の顔があって、長野はほっと胸を撫で下ろした。
けれども長野が探していた顔は無く、きょろきょろと室内を見渡しながら二人へと歩み寄る。
「その、今日はとーかいどーせんぱいは……?」
「東海道?まだ戻ってないんじゃないの?」
ねえ秋田?と上越が同意を求めるように向かいに座った秋田を見れば、既におやつの大福に手を出しかけていた秋田はぱちりと瞬きをひとつ落として、その言葉にこくりと頷いた。
「今日はまだ見てないよ。遅れるって連絡もないからもう少ししたら来るんじゃないかな」
「そうですか……」
あからさまに肩を落とした長野に、二人は顔を見合せて首を傾げる。傾げながらも口に大福を入れる事を忘れない秋田はもう気にしない事にして、様子がおかしい長野に話を聞いてみようと上越が口を開きかけた瞬間、足元から甲高い鳴き声が響いた。
「「ぴい!」」
なんだこの鳴き声、敢えて言うなら鳥のそれっぽいような、否それ以前にどっかで聞き覚えがあったような?
疑問符を張りつけて視線を声のした方向へと下げた上越の視界には、長野の足元でちょこん、と立っているひよこが二羽。黄色い羽毛の小さなその生き物は、上越の記憶が確かならば確か東海道のところの……
「――『TOICA』 ?」
「「ぴい!!」」
即座に返ってきた返事(?)に、見かけよりは賢いんだなあ、と現実逃避をしかけた頭が勝手に判断を下している。一瞬だけあり得ないことに言葉に詰まった上越だったが、そこは長年高速鉄道なんぞを職務にしてきた男である。
「ふうん……長野、コレどこから連れてきたのさ」
ひょい、と比較的小さい方を手に取って、東海道がいつかしていたように手のひらに乗せて目の高さまで上げてみる。ふわふわとした羽毛とくりんとした双眸はなかなかに愛らしく、あの堅物な東海道が可愛がっているのも無理はないと思う。
しげしげといろいろな角度からひよこを眺める上越の心中を知ってか知らずか、長野は元気よく大好きな先輩の問いかけに答えた。
「はい、上野で会ったんです!まいごさんになってたので、ここに連れて来ればとーかいどーせんぱいに会わせてあげられる、と……」
思ったんですが、と段々小さくなる長野の声に、状況をなんとなく悟った上越と秋田は顔を見合せてほぼ同時に勤務状況を示したホワイトボードの方向へと視線を向ける。
東北と山形の欄はそれぞれの地元の地名が書かれていたが、東海道と山陽の横のそれは空白。ならば移動中かも知れないが、此処には戻ってくる、ということ。
手にしたひよこを片割れが飛び跳ねている床の上へと戻し、上越は空いた手でくしゃりと長野の頭を撫でる。
自分のキャラじゃない、と義務的に保護者をしているだけの自分を慕う長野。幼い外見は今だけのこと、直に自分よりもずっと大きくなるだろう彼の癖の強い髪の毛の柔らかい感触、それは上越は決して嫌いではなかったから。
「……直ぐに東海道は戻るよ、長野」
お茶をしながら待っていればいい、ともう一度その頭を撫でて、上越は静かに目を細める。複雑に過ぎる感情をやり過ごすのは、もう随分と慣れた。
誰にも気付かれないような一拍の空白を置いて、目の前の秋田に長野の分のお茶を入れて貰おうと振り返り。
「――秋田、いくらなんでもソレは食べ過ぎ」
先ほどまでテーブルの上の上等な紙箱の中、確かにぎっしりと詰まっていた筈の大福。その見る影もない閑散とした有様に、上越は先ほど覚えたのとは別の意味で深く深く溜息を零した。
2010.05.25.(再録)
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