ordinary day's

02.

 カナリアイエローの制服に、揃えたような色の髪。
遠目からでも人物を判別するのに支障がない外見を持つ彼は、揃いのような色彩の同僚と共に居る事が多い事もあって余計に人目を引く。
 人柄そのものは温厚で冷静、首都圏近郊では人身事故が多い事もあってやや斜に構えたような物言いをする事もあったが、日本の東西を己とはルートを違えて結ぶかの同僚の事を、兄と同じ東海道の名を持つ在来線は嫌いではなかった。尤も、嫌いになるほど親密な接点が無く、仕事の同僚以上の関係に無い、という言い方も出来たが。
 だからこそ彼が己を呼んでいる、という京浜東北の伝言には若干首を傾げつつ、慣れ親しんだ東京駅の在来線詰所へと足を踏み入れたのだが。
「あ、東海道」
「と、東海道っ!!」
 ……なんか、違う声が混じっている。
 ソファに座って紙コップのコーヒーを傾けていた中央と、もう一人。東海道と同じオレンジ色の制服を着用した人物がもう一人。
「って、御殿場ぁ?!なんでオマエがこんなとこに居るんだよ」
 御殿場線、と呼ばれる彼は沼津〜国府津間を結ぶ旧東海道線区間を担当する路線で、首都圏まで出てくるような事は殆ど無い。東海道の制服とは唯一異なるアイボリーのラインの入った袖でしきりに汗を拭いながら、中央が己を呼ぶ声に弾かれたように半分泣きそうな顔を上げ、がばり、と抱きついてくる。
「ど、ど、どうしよう東海道、俺、俺が気付かなかったから!」
「ちょ、落ち着け御殿場!さっぱり話が見えん!」
 ぎゅうぎゅうと溺れた人間が藁を掴むかの如く必死で縋りついてくる御殿場を引き剥がそうともがきながら、東海道は慌てるでもなくコーヒーを啜る中央へと視線を向ける。
「中央っ、状況が全くわからん!」
 説明しろ!と叫ぶように告げれば、軽く肩を竦めて手にしていたカップをテーブルの上に置いた。それ自体は普通の仕草だったのだろうけれど、やけに冗長で芝居がかった仕草に見えたのは、東海道の余裕の無さ故だろうか。
 そんなこちらの心情を知ってか知らずか、相変わらず何処か一歩引いたような冷静さで以てその口を開いた。
「新宿で途方に暮れてたから連れてきたんだよ。話を聞く限り僕より東海道に相談した方が良さそうだったしさ」
「新宿?……ああ、「あさぎり」か」
 そういえば小田急乗り入れで新宿まで来てたな、と首都圏ではあり得ないゆるい当番制で特急を走らせていた事を思い出す。
 御殿場が此処にいるのはそれで納得するとして、肝心の【途方に暮れていた】内容とやらはわからぬままだ。どんどん強くなる腕の力にそろそろ脱出どころか身の危険を感じ始めた東海道の焦燥を知ってか知らずか、中央はあっさりとその原因を口にする。
「利用エリアが拡大する来年に向けてひよこ当番路線増やしただろ?そんで今日の当番が御殿場」
「まさか……」
 たらり、と東海道の額に浮かぶ冷や汗。
ああ何度も体験したし、それ以上に該当するだろうトラブルの発生時に当番だった他の路線の奔走っぷりを見てきた。
新しく当番に組み込まれた路線たちには、小さいひよこ二羽だからといって侮るな、とその傍若無人な行動力を口を酸っぱくして言い聞かせてきたつもりだったが、あの黄色いひよこたちの行動力の進化の方が上回ったか。
「東海道たちの言ってた事は注意してたけど、まさか小田原とちょっと話している間に駅そのものから居なくなるなんて思ってなかったんだよ!」
 わっ、と堪え切れずに泣きだした御殿場の背を撫でてやりながら、思わず天井と壁の境目に視線を向けてしまう。
 やっぱりやらかしたか、という諦めと、無事でいるだろうか、という焦り。
 何せ、東海エリア内なら兎も角、此処は東京だ。
 しかも前回のように東京駅内部ならば兄の威光も届くだろうが、それ以外の、しかも私鉄のエリア内に入り込んだりしていたら。
 東京以西なら兎も角、それ以外の路線にも地理にも東海道は明るくない。流石にJR路線だけならば把握は出来るが、私鉄を含むとなるともうお手上げと言っていい。
三社を跨ぐが故に自身の路線管理以外の業務が免除されていた弊害がこんなところで出てくるとは、と歯痒く思いつつ、未だ静かにソファに座ったままだったもう一人の同僚の名を叫んだ。
「中央!」
「ああ。新宿駅でTOICAたちを見なかったかどうか、今職員に聞いてもらってるところだよ。幸いにしてJR路線以外には懐かないのは周知の通りだし」
 告げられた中央の言葉に、ほっと東海道の肩が僅かに落ちる。確かに名鉄や近鉄にはこれっぽっちも懐かなかったな、と地元の私鉄の顔を思い浮かべつつ、少なくとも打てる手は打ってあることにほっと安堵の吐息を零した。東海道同様、中央も何度もあのひよこの脱走騒ぎに直面した経験者であったことが有り難く、御殿場が兄に叱責されるにしても取れる処置は取ったと弁護する事も可能だろう。
 ようやく少しばかり緩んできた御殿場の腕をべりっと引き剥がし、その身体を無理矢理にソファへと押し込めた。体格はそう変わらない筈なのにやけにあっさりとそれが可能だったのは、たぶんこの同僚もまた事態に混乱し疲労しているということなのだろう。
「オマエはいいから休んでろ!あとは俺がなんとかするから!」
「そうだよ、僕も手伝うし」
 飲み干し終えた紙コップをダストボックスに放り込んで、御殿場と入れ替わるように中央がソファから立ち上がる。しれっと告げられた中央の台詞に、東海道はコイツ兄貴に報告に行くのが嫌で俺に振りやがったな、と思惑の欠片を感じないでもなかったが、この場では貴重な同士だ。ぐっと文句を飲み込む。
 そんな同僚の言葉に、ソファに押し込められた御殿場はふるふると拳を震わせ、次の瞬間には弾かれたようにソファから立ち上がって目の前のオレンジ色に抱きついていた。
「わーん東海道、愛してる!俺、東海道上官の次におまえの事が好きだからな!!」
「ぎゃー!ってか抱き付くなっつってんだろ御殿場ァ!」
 感激のあまりに再びぎゅーぎゅーと抱きついた御殿場をようやくのことで引き剥がし、東海道は溜息をひとつ。(やっぱり中央は全く助けてはくれなかった)
 さてどうやって探そうか、いやその前に非常に不本意だが兄貴に説教覚悟で報告に行かなければ、と憂鬱な気分になりながら、ドアノブへと手をかけた瞬間、携帯の着信音が鳴り響く。
「あ、ごめん僕のだ。……総武?」
 ポケットから取り出した携帯の液晶画面に表示された名前は、中央の相方とも呼べる同僚のもので。
 視線で通話を求める中央に、軽く頷いて了承を見せれば、直ぐにそれが耳元に当てられる。当たり障りのない軽い遣り取りの後に、これまで比較的冷静だった中央の表情が困惑に歪む。
「はあ?!え、ちょ、それで何処まで!!?」
 ぎょっとして思わず彼を注視する東海道と御殿場の視線を知ってか知らずか、中央は両手で携帯を掴むようにして会話を続けている。
「うん、秋葉原まで……山手のホームに行ったのは間違いないんだ?え、逆方向?!」
 どうやら会話の断片から察するに、新宿から総武に乗って秋葉原まで行ったらしい。どうせなら中央快速に乗ってくれれば面倒が無くて良かったのに、と溜息を落とす東海道と、見知らぬ路線の名前の羅列に目を白黒させる御殿場と。
 そんな微妙な空気を醸し出す中、ふう、とひとつ吐息を吐きだして中央の指先が携帯のボタンを押して通話を切った。
「……TOICAたち、山手の内回りで上野方面に行ったっぽい、って」
 今総武が山手に確認取ってくれてるけど、と顔を上げた中央の表情は先ほどまでの余裕が欠けている。上野、という単語に宇都宮&高崎や東日本の上官たちを連想してしまった自分と、どうやら大差無い危惧を抱いたのだろう。
 逆方向に行ってしまったからといって引き返すような殊勝さはあのひよこたちには存在しない。此処が西の地であったならあの人の好い茶色の髪の上官や水色のカモノハシやらが尽力してくれるのだろうが、此処にいるのは癖の強い路線たちとツンデレペンギンだけだ。
 この失態を知られるのが東の上官たちだけならまだいいが、宇都宮辺りにICカードの脱走+迷子などということを知られたら、それこそちくちくと長く弄られる事は目に見えている。それでも自分たちだけで済めばマシだ、何せあの男は上官を上官と思わないことでも有名ではないか、この一件で兄が大事にしている高速鉄道としてのプライドを傷つけられるような事になったりしたら……!
「……御殿場、予定変更。オマエ兄貴に報告に行け」
「えええええ?!!そんな、上官のところに俺一人でなんて無理に決まってるだろ?!」
 この場合の上官、というのは本当に兄貴のことしか指してねーんだろうなあ、と遠い目をする東海道の肩を、ぽん、と中央が叩く。はあ、と溜息をひとつ落とし、動揺の余りに忙しなく視線を彷徨わせる同僚に最後通告をひとつ。
「無理でもなんでもやれ。俺と中央でそこらへんのヤツに探り入れてくるから」
「君、新宿以外に土地勘無いでしょ、御殿場。この場合適材適所だと思うけど?」
 同僚の言葉に反論の全てを塞がれて、うう、と御殿場が唸る。間違いなく当事者であるだけに、それ以上強い事は言えずにがっくりと肩を落とした。
 上官への報告、という分かりやすい目先の障害を避けたとはいえ、東海道と中央のやるべき事も経験上もちろん容易くはない。まあ今回は辿ったルートと捜索先が判明しただけまだマシな方かも知れないな、と己を慰め、東海道は手をかけたままだったドアを押し開く。
 今日は何の厄日なんだろう、と零した溜息は、期せずして二人ほぼ重なって床へと落ちて行った。



01 / 02 / 03 / 04


2010.05.25.(再録)

09年5月無料配布本「ordinary day's」(ひよこ狂想曲番外編)