ミニスカートとハイヒール
ひざより短いミニスカート、爪先立ちのハイヒール。
屈んだら見えそうな丈、立っているだけでふるえる足。
かくも女性は偉大だと、なりたて女子はためいきひとつ。
途方に暮れる自分を置き去りに、女子なら当然です!と目の前の彼女たちは力説する。
そんな己に突き付けられたのは、恐らくは相当に上質な生地で仕立てられたのだろう白い服と、光沢を放つエナメルの靴が一揃え。
「……その、これは」
「新しい礼服ですよ、上官」
躊躇いがちに問いかければ、当然至極とばかりにさらりと返ってくる返答が恨めしい。どうにか消えてなくなりはしないかと目を細めてじっと見つめてみても、やはりハンガーに掛けられたその服は変わらずにそこにあるままだったし、その下に揃えて置かれた靴も同じように綺麗な光沢を放っているままだった。
礼服、というのは、もうちょっとなんというか。
そう遠く無い昔に己が所有していた礼服は、確かに同じような白地に装飾過多な物体ではあったが、元の制服のデザインを逸脱はしていなかったはずだ。
現実には信じがたい紆余曲折を経て、男性だった自分が今女性として此処に居るのは納得している。そして男性ものと女性ものとでは根本的に衣服に対して求められるものが違うのも理解している。
だからこそ、いくら保守的で頑固で融通が利かないと散々に言われている東海道新幹線であっても、女性職員たちが着用しているようなものを着る覚悟くらいは決めていた。
ところがどっこい、今こうして己の前に示されたのは。
「い、いくらなんでもその、短すぎないか?」
オフホワイトの生地にブルーラインをあしらったそのデザインは、恐らくは己の車両のイメージに準じたものなのだろう。部分部分を見れば男性の時の礼服とパーツは変わらないものの、問題はその形状。東海道にとっては未知の領域とも言うべきワンピース、しかも、相当に裾が短いのだ。
男性の時よりは縮んだとは言え、平均くらいはあるだろう東海道の身長から考えれば、その丈は太腿の半ばに届くか届かないかといったところだろうか。女性の私服でそういったデザインのものがある事は知っているとはいえ、己が着用するとなったら話は全く別になる。
けれどこの礼服を示した広報部の彼女たちの反応は非常にあっさりとしたもので、『このくらいはアリですよー、マイクロミニってわけでもないし』とにこにこと笑うのみで、東海道は口元をひきつらせ、無意識のうちにじりじりと後ずさる。
この身体がどういうわけか女性になってから既に半年近く。それなりに新しい発見があったり、今までの常識との齟齬があったりしたが、おしなべてそこそこ平穏にやってきたのではなかろうか、と思っていた。
だがそれは己の境遇が恵まれていただけなのだと認めざるを得ない目の前の物体を前にして、東海道はごくり、と息を飲み込む。
「私が着るには、なんだ、多少問題があるのではないかと…」
「大丈夫ですよー、上官足キレイですもん」
にこにこと問答無用の笑顔で礼服(であるとは出来れば信じたくない物体)を突き付けてくる彼女たち。
たらり、と背筋を伝う冷や汗に、東海道は問題はそこじゃない、と突っ込む台詞を飲み込んだ。
◆ ◆ ◆
「……ありゃ、そんでお疲れなの?とーかいどーちゃん」
「聞くな……何故あんなに彼女たちは元気なんだ……」
ぐったりと机に突っ伏した状態の東海道を見下ろしながら、山陽はくしゃりと幾分困ったような笑みを零す。
礼服の試作品が出来たから試着して欲しい、と請われて東海道が東海本社へと向かったのは昨日の事。着るものにこだわりの無い東海道のことだから、どんなものを提示されたのであってもそれでいい、とGoサインを出して終わりにするんだろうと思っていた山陽を含む高速鉄道の面々の予想を裏切って、結局その日は執務室に戻ってくることはなかった。
そして、翌日の昼ごろになって新大阪の山陽の元に現れるや否やコレである。
「何故試作品だけで部屋が埋め尽くされているんだ……着るのは私ひとり、しかも滅多に着ないというのに……」
ぺたり、と机に懐いた状態でぶつぶつと文句を言っている東海道の様子に、どうやら件の彼女たちは相当頑張ってしまったらしいことを悟らざるを得ない。確かに山陽も礼服なんぞ何かの式典、それも相当大規模なものでなければ着た覚えは薄いので、東海道の言う事も理解はできる。
だがしかし、今回はかの会社の大黒柱のそれである。看板であるべき彼もとい彼女の礼服に、妥協をしたくなかった感情もまた理解できてしまう山陽としては、苦笑いを浮かべる以外に何が出来ようか。
「んで?結局決まったのかよ」
礼服のデザイン、と机に懐いたままの東海道の顔を覗き込めば、非常に珍しい事に眉をハの字に顰めて自信無さげに視線を迷わせる。
「……たぶん」
「たぶん、て何だよ」
くしゃり、と突っ伏した東海道の頭を軽く撫でれば、それに釣られたようについ、と視線が上がる。うっすらと涙に濡れた双眸が此方を捉えた瞬間、がたりと立ち上がった東海道が山陽の襟元を掴みにじり寄ってくる。
「仕方が無いだろう!!組み合わせも含めて何着着せられたのか、既に俺も覚えていないんだ!最終的には俺は単なるマネキンでしかなかったぞ!」
「ちょ、落ち着いて、落ち着いて東海道っ」
「ミニスカートもハイヒールもガーターベルトも二―ソックスも全部嫌いだ!スーツ万歳!!俺はもう二度とアレを着るような式典には出ない!!」
「や、それは流石に無理が……てか、東海道ギブギブ!首締まってるから待って!」
叫んでいるうちにテンションが上がったのか、山陽の制服の襟元をぎゅうっと握りしめた東海道の力が強くなってゆく。身長差も相俟って見事に極められかけた山陽は、慌てて現状を訴える。
「え、あ……すまん」
「いやまあいいけど」
殴られるよりは、とは賢明にも口には出さず、東海道にぐしゃぐしゃにされた襟元を直しながら、山陽は先ほどの思わずといった叫びの内容を反芻する。
ミニスカートでハイヒールでガーターベルトで二―ソックス。
……ダメだ、想像の範囲外過ぎてわけわかんねえ!?
「礼服デザインってミニスカだったん?とーかいどー」
確かに足はキレイだから履かせてみたくなる気持ちはわからないでもないけど、と密かな優越感と共に首を傾げれば、けれども東海道からはこれまた想定外の返事が返ってくる。
「……最初は」
「最初は?」
ふう、と遠い目をして、東海道が窓の外を見やる。昼下がりの陽光はやわらかく窓ガラス越しに室内へと射し込んでいて、気づけばその角度がずいぶんと下がっている。それを見ているようで意識には残っていないだろう眼差しのまま、東海道はぽつりぽつりと昨日の状況を語り始めた。
曰く、最初はミニスカワンピースだったこと。
それはちょっと、と言ったらロングスカート+ガーターベルトが出てきたこと。
もうちょっと普通のを、と言ったらスリットが大変なことになっているタイトスカートを推されたこと。
パンツスーツもあってほっとしていたら素晴らしくヒールの高いパンプスを履かされそうになったこと。
そして、それらもろもろを一通り披露した後は東海道の意思などばっさり切って捨て、ひたすら延々と着せ換えを繰り返されたのだと溜息と共に締めくくって、再び東海道はぺたりと机に逆戻りしてしまう。
「スカートの覚悟は決めていたんだ。決めていたが、アレは、アレらは流石に俺の想定外だったんだ……!」
まあ、確かに普通礼服でミニスカは無いな、とは思ったが口には出さず、東海の割には思い切ったデザイン出してきたなコレ、企画立案の人物の独断と偏見と萌え心で作ったんじゃねーの?とももちろん表面にすら出さず、山陽は珍しく遅延や運休や天災以外で凹んでいる東海道の頭を繰り返し撫でてみる。
硬そうな外見に似合わずやわらかなネコっ毛は、相変わらず収まりが悪く毛先がくるくるとはねている。それでも昔に比べて少しは落ち着いているのは、恋人である山陽の日ごろの丹精の成果と、昨日彼女たちに多少は弄られていた所為だろうか。
「んでも、どんなのがいいかちゃんと言ってきたんだろ?」
「言った。言ったが……俺は彼女らにはどうも弱くて」
あまり強くは言えなかった、としょんぼりと肩を落としてしまう様子は、たぶん贔屓目抜きでひどく可愛らしい。だから件の彼女たちもこういう様子があるから色々と着せてみたかったのだろうと容易く推測出来る辺りがまた浮かばれない。
しかし、制服はあまり変わり映えのしないものを出してきたので東海道も油断しきっていたのだろうが、それにしてもその一連のラインナップは一足飛びに飛躍し過ぎだろう。正直タイトスカートにローヒールパンプスでさえ転ぶかも知れない、と最初の時点で選択出来なかった山陽とジュニアにしてみれば、その英断には拍手を送りたいところではあるのだが。
『……ちょっと東海道には刺激が強過ぎっつーか、なあ?』
そもそも男性であった頃でさえ露出の多い服や奇抜な服には難色を示していた男である。それが自分が着るとなれば、余計にハードルが上がるわけで、スカートを覚悟していただけでも相当な譲歩だったろう事は、付き合いが長い山陽には痛いほど良く分かった。
分かったが、だからといってこの場合そんな事は東海道にとって何の救いにもならないし、事態の解決にも全く関与しない。
普通でいいんだ、普通で、とぶつぶつ呟く東海道の頭を思わずぎゅっと抱き込みながら、東海道のところの彼女たちがこれ以上暴走しない事を願うしか出来る事はなかった。
◆ ◆ ◆
ふわりと羽織った上着は、一点の曇りも無い眩しい程の白。
襟元と肩口、胸元にあしらわれた鮮やかな青のラインがそれを更に引き立たせ、飾り紐の金色がそこに華やかさを加えている。ひざ丈のタイトスカートは上着と同じ生地の揃いで、上着と同じく裾近くに鮮やかな青いライン。ぱりっとノリの効いたブラウスは皺ひとつ無く、釦の光沢は貝細工の虹模様を描く。すらりと伸びた足を包むのはナチュラルベージュのストッキングと、品の良いフォルムの白い本革パンプス。ヒールは低めで甲にもデザイン性の高いストラップが配されている。
まさしく彼女の為だけにこの世に生み出されたことを確信できる予定調和でしっくりと馴染むその一揃えを身に纏い、東海道は安堵の溜息をひとつ。
「よかった……本当によかった」
このデザインに決まるまでの紆余曲折を脳裏から振り払い、東海道は目の前の姿見に映る自身の姿を噛み締める。白と青、という基本的な配色は変更が成されなかったようだが、それさえ除けばいつか山陽と弟に着せられた女性物のスーツと大差ないラインに落ち着いていた。少なくとも礼服だと言われて首を傾げる必要は無くなったそれで、これまで戦々恐々としていた日々から脱却できるというものだ。
汚さないように慎重な手つきで前の隠し釦を留めて、少しよれた裾をさばき直す。何度か着用する機会はあったものの未だに慣れないタイトスカートの感触に幾度も鏡を振り返りながら、それでも見られる格好にはなっているのだから有難い。
試作段階での上場優良企業の主要人物が着用するとは思えない、何かを血迷ったかのような数々と、それを着用させられたマネキン状態の日々を高速で脳内のダストボックスへと叩きこみながら、東海道は鏡から視線を引き剥がし、傍にあったソファへとぽすりと腰を下ろした。かちこちと時を刻むアナログ時計の指し示す時刻は、未だ猶予がある。
そんなに着る機会は無いだろう、と高を括っていた東海道の予測を盛大に裏切って、早々にやってきてしまったその機会とやらを目の前にして、兎に角今浮かぶのは安堵だ。それしかない。
慌ただしい日々の中でそうそう何度も試着に付き合えるはずも無く、あの日から後は書類やメール、伝言で状況を確認しあうのみだったから、実はこの礼服の実物を確認するのは今日が最初だったりしたのだ。
おそるおそる届けられた箱を開け、中身を確認した瞬間の東海道の気分は、きっと誰にも分からない。最悪を予測しながらそれが裏切られる瞬間は、歓喜と呼ぶより切なく、安堵と呼ぶには心拍数が高過ぎた。
ソファに身体を預けながら、本番である式典はこれからだというのに全てが終わった気分になっている自分に気づく。しっかりしろ、と叱咤するようにぺしりと頬をひとつ軽く叩くと、深呼吸をひとつ。
性別が変わったくらいで何も変わらないと思っていた。
否、実際何も変わる事は無かったし、得たものと失ったものでいえば得たものの方が多かったくらいだ。躊躇いが無いといえば嘘になるけれど、心理的障害は随分と少なくなったのだから、やはりそれは決して忌むべきものではないと思っていた。
だが、それはあくまで東海道自身の問題であって、東海道新幹線の運行上ではやはり何も変わる事は無く、業務もそうあってしかるべきだ。
「まさか、このような落とし穴があろうとは……」
ミニスカもガーターベルトも二度とごめんだ、と小さく吐き捨てて、東海道は勢いよく立ちあがる。
式典の開始時間まではまだ一時間以上ある。挨拶の原稿は既に頭の中に在るし、式次第も同様。そもそも今回の東海道は式典の添え物のようなもので、むしろ主役というのならば。
「よ、東海道。そっちはどーよ」
「……私は何度おまえにドアはノックしてから入れと言わねばならんのだ、山陽」
がちゃりと勝手にドアを開けて、相変わらずへらへらした笑顔を浮かべる山陽の出現に、自然既に習い性になった不機嫌な表情を浮かべてしまう。
毎回毎回どうしてコイツはこう人の神経を逆撫でするような事をするんだろう、そしてなんで俺はコイツがいいんだろう、とぐるぐるするような事を考えながら、けれどそのぐるぐるとした思考もぽすり、と頭に手を乗せられて霧散する。
「おっまえなあ、折角格好良い礼服作ってもらったのに、相変わらずその頭ってのはどーなのよ?」
「う、うるさい!!」
わしゃわしゃと髪を撫でる温かい手のひらの感触に、知らず頬が勝手に熱を持つ。撥ね退けようにもそれが心地よいと知っているものだから、腕の力は鈍るし言葉にも鋭さは全く無い。我ながら説得力が薄い、と自覚しながら、それでもなけなしの矜持で以てべしりとその手を払う。
ひっでえなあ、と口にはしながら、けれど山陽の顔に浮かぶ表情はやわらかい。今日も彼から向けられる感情に変わりがないことを確かめながら、東海道はぷい、と横を向く。
山陽が纏うのは、かつて己も纏っていた礼服。今も東海道のクローゼットの奥に眠るそれと同じデザインの一揃えは、大柄な山陽が着る事で余計に映える気がする。
絶対にそんなことは言わないけれど、と跳ね上がった鼓動を飲み込んで、目の前の男をじっと見つめる。広い背中、長い腕、器用な指先。それはずっと東海道が欲していたものであり、今間接的にこの手にあるものでもある。
この男が向ける眼差しが何処までも暖かくて優しかったから、自分はここまでやってこれた。この男が差し伸べる手が、時に突き放す言葉が無ければ、きっと一人きりでは走る事は出来なかった。だからこそ、今こうして山陽という男と二人立っている現実を、得難いものだと思えるのだろう。
全く着慣れない礼服の裾を引いて、おずおずと目の前の同僚であり相棒であり、また恋人でもある男の顔を見上げた。
「……似合う、か?」
「ああ、すっげー可愛い」
普通のデザインで良かったよな、と散々に愚痴を零した相手は手慣れた仕草で東海道の髪を柔らかく手で梳いてゆく。その心地好さに目を細めている間に、あれほど毛先がくるくるとはねて収まりの悪かった己の髪が収まってゆくのがいつも不思議で、時々この手は魔法か何かを使っているのではないかと思う事があるほどだ。
あの日、試作品の礼服を散々に着せられた日にも髪も顔も散々に弄られたが、山陽の手ほど違和感無く馴染むものは無かった。
何が違うんだろう、と内心首を傾げながら、東海道はじっと目の前の男の言葉の真偽を確かめるように彼の瞳を覗き込む。染めた髪と良く似合う、僅かに色素の薄い茶水晶のそれは、笑みを浮かべた時が自分は一番綺麗だと思う。
時計の長針が指し示す式典の時間まで、あと半刻。
少しくらいは許容範囲だろう、と、頬に触れる手のひらの感触にそっと目を閉じて、次に降ってくるだろう唇の柔らかさに心を躍らせた。
◆ ◆ ◆
「兄貴の礼服?……ああ、あれですか」
すい、と視線を斜めに過らせたジュニアは、問うた上司であり兄の恋人でもある男を前に、その口元に手をやって暫し言葉に迷う。
兄貴には内緒ですよ、と何度も念押しをして、その口から重苦しく語られた真実はといえば。
「なんというか……もうあのデザインで内定してはいたらしいんですが、ウチの女性職員たちがこう、悪ノリしたらしく」
折角だから上官に何が似合うか試してみたい!とテンションの上がった彼女たちは、総力を結集してありとあらゆる方向のデザインで試作品を作ってみたらしい。そして、冒険心溢れるあれやこれやを散々着せてみて満足した結果。
『上官にはやっぱりベーシックな制服ベースが似合うわよね!』というある意味当然な位置に落ち着いた揚句、いわゆる制服職業の方々の礼服と大差ないものが出来上がったというわけだ。
「……女の子のパワーってすげえな、ジュニア」
「女性は得てしてパワフルですよ、山陽サン」
そんな会話を交わしながら、二人は揃って溜息をひとつ。
そして数日後。
件の彼女たちから口止め料として届けられた、大量の試着写真の束に彼女らの本気を垣間見ながら、山陽は何かあっても女性は敵に回すべきではない、と心底思い知ったのだった。
2010.05.25.(再録)
『猟奇的な彼女 COMPLETE』発行時に配っていたペーパー小噺。
お兄ちゃんはお姉ちゃんになっても可愛くて格好良いと信じたい上官スキーです。