ひよこ’s、れべるあっぷ!


 某月某日、某所にて。
 揃ってオレンジ色の詰襟を着用した面々は、机を囲むようにして着席した状態で、互いに顔を見合わせ頷きをひとつ。
「苦節×年……」
「東と西のヤツらに温い目を向けられてきたが……」
「時に我々がネグレイトしてるんじゃ、などと不名誉な噂もあったわけだが」
 誰とも知れぬ呟きを交わしながら、それぞれの言葉にうんうんと頷き合う異様な光景を繰り広げつつ、当事者である彼らに自覚は薄いようだ。
彼らが囲むのは、会議室によくある長机。その上に書類やらお茶やらの会議の御伴に混じって、何故か据えられた小さなバスケット。
 時折そこから「ぴい!」だの「ぴよ?」だのという小さな鳴き声が漏れていたが、その度にバスケットの正面に位置している青年が「もーちょっと大人しくしてようね」と囁きかけて。
 一通り愚痴にも似た言葉を交わし合った面々は、がたり、と椅子から揃って立ち上がる。
「だがそれも今日で終わりだ!」
「ペンギンだのカモノハシだのに大きな顔をされていたのも過去のこと!」
 カレンダーに二重の赤い花丸でチェックした、本日の日付は三月十三日。こほん、と軽い咳払いをひとつ落として、一同を代表して長身の青年が無駄に恭しく机上のバスケットを頭上へと掲げ。
「本日当社営業開始時間を以て、ICカード『TOICA』 の電子マネー運用開始、及び東日本、西日本との電子マネー相互利用を宣言する…!」
 わあっ、とその場に居た一同から上がる歓声。互いに肩を叩き合い、自分たちのこれまでの労苦が報われた事を讃え合っている。
 そんな微妙な連中の只中で、渦中の存在であるバスケットの中の小さなひよこ二羽は、揃って首を傾げて「ぴよ?」と全く事態を把握していない風情で一声鳴いたのだった。



■ ■ ■



 そして同日、東京駅の業務通路。
非常に怪しい上にテンションの高い謎の集会を経て、東海道本線――東海以外では兄との区別からジュニアと呼ばれる青年は、普段の彼にはひどく不似合いなバスケットを手に先を急いでいた。
バスケットの中身は、もちろんあの時と同じく黄色いひよこが二羽である。ふかふかのクッションを敷いて、尚且つジュニアが持ち歩いている所為で揺れも加わっている所為だろうか、中でくっついて丸くなっているひよこたちは、若干眠そうに目を閉じている。
「あ、こら寝るなおまえら。これから兄貴んとこに報告しに行くんだから」
 ちょい、と指先でつつかれ、ぴい……と不機嫌そうな声を上げたひよこたちだが、言われた内容にぱちりと瞬きをひとつ。
 とーかいどーの、おにーさん。……じょーかん?
「「ぴい!」」
 弾かれたように羽をばたつかせ、高い声で囀る二重音。何故だかわからないが兄のことが大好きなこの二羽は、隙あらば兄のところに遊びに行って執務室に入り浸った揚句、兄のポケットに入り込むのが常となってしまっている。
 その兄のところへ向かっているのだと知った途端に、目を輝かせて此方を見上げる小さなひよこたちに苦笑を零して、ジュニアは慣れ親しんだ上官執務室への廊下を辿った。
 JR東海は本日を以て自社ICカード『TOICA』の利用エリアを拡大、更に機能を追加した。その中にはこれまで散々に同業他社や利用者から言われていた電子マネー機能の追加だけでなく、制限は大きいものの新幹線への乗車を含む機能も含まれている。
 それに、そもそもこのひよこたちにおつかいが出来るようにと文字の読み書きから計算までひと通りを仕込んできたのは、主に兄と教育係だった同僚だ。その成果を誰よりも待ち望んでいた相手に、報告をしないという選択肢は東海在来線一同の誰にも存在しなかった。
 故に「誰が報告に行くか」ひよこ当番全員で骨肉の争いを繰り広げた揚句、結局最も会いやすい弟であるジュニアに軍配が上がり、こうしてバスケット片手に廊下を歩いているわけだ。流石に長い事兄と共にこのひよこたちに辛抱強く勉強を教えてきた関西の泣き落としにはちょっぴり揺らいだが、西日本での件の事件の所為で連日忙しい彼は、今日も警察相手に予定が入っており、泣く泣く諦めてもらった経緯もある。
 流石に気の毒だったので、アイツには別件で会う用事でも用意しとこう、と鬼になりきれないジュニアは心に決めて、目の前に現れた見覚えのあり過ぎる重厚なドアを絶妙なリズムで三度、ノックする。
「東海道本線、TOICAバージョンアップの件でご報告に上がりました」
 ドアの外からどこまで声が届いているか分からないが、それでも声に出すのは対外的な面子というヤツだ。兄はそんなことしなくてもいつでも入ってこい、といつも愚痴っているが、実際にそれをやったら己の心の平穏が保たれないだろうことも承知している。
 入れ、という簡潔な声に呼応する形で、目の前の重厚なドアを開けて室内へと足を踏み入れる。流石は天下のJRの、その最上位路線である新幹線の執務室。絨毯の毛足はいつ足を踏み入れてもふかふかだし、各自の机も安っぽいスチール製ではなく、飴色に磨かれた木製の立派なものだ。応接セットも重役室もかくやという上質な落ち着いた風情で、そろそろこの部屋も見慣れたジュニアであっても場違いだと感じるほど。
 その室内の最も上座に、己の兄の席はある。大きな窓から射し込む陽光を反射する机面は常よりも書類は少なく、それが何のためかを知るジュニアは思わず口元を緩めかけて慌てて真一文字に引き結ぶ。
どうやら兄以外の上官方は不在のようだが、それでも誰に見られるかわからない公的な場所で、一応の礼儀は通しておくに越した事は無い。自分のみならず、兄のためにも。
「現時点でエリア追加区間での問題はありません。電子マネー運用も支障なく機能しています。新幹線管轄区での状況は割愛させて頂きますが、よろしいでしょうか?」
「それに関しては私が把握している、問題ない。……むしろ、その他人行儀な喋り方をどうにかしろ」
 ぎろり、と椅子に座った状態からジュニアに向けられる視線は物騒だが、兄のそれには慣れているので単に距離を取られたのが気に食わないのだろうと肩を竦める。ジュニアとてこんな堅苦しい喋り方、一応の建前がなければする理由もないししたくもないのだ。
「あっそ、じゃあ遠慮なく」
 直立不動で立ち尽くしていた姿勢を緩め、手にしていたバスケットを兄の常よりは平面的な机の上に置く。するとそれなりに状況を把握したのだろうひよこたちは、彼らが大好きな上官の姿を認めてぴい、と声を上げた。
「TOICA……連れてきたのか」
「だって、それが一番わかりやすいだろ」
 どうせ確かめに現場に行きたがるんだろうから、と告げれば、図星だったのか、ごにょごにょと言い訳を紡ぎながらそっぽを向いた。ある意味とてもわかりやすい。
 そんな兄弟の遣り取りをどう思ったのか、はたまた何も考えてはいないのか。バスケットの中のひよこたちは、ぴょこりと顔を覗かせると、揃ってぴいぴいと囀り始める。本人は認めたがらないがすこぶるこの小さな生き物に弱い兄のこと、ぐっと零れかけた叫びを驚かせないように飲み込んだ。
「というわけで、兄貴はこいつよろしくな」
「は?」
 バスケットの中から、やや小さい方のひよこを掬いあげ、兄の手の中に押し込んでやる。柔らかな羽毛と、小動物の体温はジュニアにとっても心地よくて、また兄も同様の感想を持っている事を知っているから、その後の心配はしていない。
「ちょ、東海道!」
「使用テストだよ、使用テスト。ひよこのナリしてるけど、ソレちゃんとICカードなんだからな」
 後日回収に来るから、とりあえず電子マネー使ってみてくれ、と告げると、大きい方が入ったバスケットをさっさと抱え、くるりと踵を返す。どうやら自分も兄のところに残りたかったらしいひよこの片割れが恨みがましい目つきで自分を見上げているのがわかったが、ここは勘弁して欲しい。
 もはや反論も受け付けず、さっさと部屋を辞してぱたり、とドアを閉めて。ふう、と落ちる溜息を打ち消すようにぴいぴいと不満を訴える黄色い毛玉の片割れを手に取ると、ひょい、と頭の上に乗せた。
「今日はずっとそこに居ていいから、我慢してくれよ。流石に両方とも在来区間から離すわけにはいかねーんだよ」
 おまえは俺と在来区間でモニタリング、と役職を言いつけてやれば、流石にひよこも自分のことだという自覚は、お勉強のおかげであったらしい。
「ぴ……ぴぃ」
「おう。ちゃんと頑張ったらおやつあるからなー」
「ぴ!」
 おやつ、という単語に、頭上にいるために姿は分からないが、その声が明らかに跳ね上がる。現金なことだ。
 置いてきた小さい方もちゃんとしててくれればいいんだけど、と想いを馳せながら、本日はこのひよこを今までバカにしてくれた奴等に見せびらかすべく、東海道は常よりも上機嫌に来た道を戻って行ったのだった。



■ ■ ■



「へー、そんでまたひよこ連れなんだー」
「おまえのカモノハシよりは邪魔にならんだろう!」
 言外に水色のアレが邪魔だ、と告げているに等しい言葉にちょびっとだけ傷つきながら(でもまあ実際持ち歩く、にはちっとも向かないメタボ加減であることは認めざるを得ないが)、山陽はポケットにぴいぴい囀るひよこを詰めた同僚の顔をまじまじと見つめた。
 眉間の皺は相変わらず健在だが、ひよこを連れ歩いている、という羞恥に真っ赤になっているので、見事に相殺されて威厳など零に等しいわけだが。
 いや、むしろこれは可愛いって言わねえ?とそれは欲目だと同僚たちに揃って温い眼差しを向けられそうな感想を抱きつつ、東海道のポケットから顔を出したちいさなひよこの頭を指先で擽ってやる。構ってもらったのが嬉しいのか、素直にすり、とその羽毛を擦り寄せる様は素直で可愛い。この堅物もこれくらい素直でもいいのに、と思ったのはかろうじて口には出さずにおいた。
 それこそ随分前から、東海道がこのひよこたちの将来の為に尽力していたことを知っている。東のペンギンや山陽のところのカモノハシに比べて、その導入が大幅に遅れていたICカード。運用が開始されてからも電子マネー機能が無かったり相互利用が適当だったりと、実はやる気がないんだろうと揶揄されて唇を噛んでいた事も知っている。
 だからこそ、今日のこの日は相当に嬉しいだろう、と自身も開業記念日を控えて忙しい中に様子見に来てみれば、予想以上に可愛らしい風情で動転した東海道が其処にいたわけで。これはジュニアに感謝すべきなのか?と最初にこのひよこたちと遭遇した経緯を思い返しながら、真剣な眼差しでショーウィンドウを吟味する後ろ姿をまじまじと見据える。
 いっそ気の毒になるくらいにじいっと睨みつけている東海道は相当に近寄りがたいが、流石は東京駅が誇るグランスタ。東海道の若干視野狭窄気味な商品選びにも、店員はにこにことその笑顔を崩さない。
 否、これはむしろ首を傾げる度にぴょこ、と左右に揺れるアホ毛やら、ポケットから顔を出したひよこが「ぴい!」と鳴くのやらで和んでいるという見方も出来なくもない、か。
「とーかいどー、決まったー?」
「量的には此方が……いやだが折角なら限定の……」
 流石にあまりこんな物体を放置してもマズイだろうと、ほどほどのところで声をかけてみるが、イマイチ反応は薄い。恐らくはホワイトデーを明日に控え、期間限定の商品が多く並んでいるのも要因なのだろう。
 気難しげな外見に似合わず甘いものが好きな東海道だから、余計に悩むのかも知れない。電子マネーを使って買い物をするだけならそれこそホームの売店でも自動販売機でも構うまいに、わざわざ折角だから最初の買い物は良いものを、と考えてしまう辺りがまあ東海道らしいといえばすこぶるらしいわけだが。
 東海道、ともう一度名を呼べば、此方を向いた表情はへにゃりと眉が下がり、縋るような眼差しを向けてくる。
「……山陽、おまえならどちらがいい?」
「んん?」
 これとこれ、と指し示されたのは、カスタードの黄色とカラメルの茶色がガラス瓶の中で鮮やかなプリンの箱と、まるでブーケのように色とりどりのマカロンの詰め合わせ。そこまでは絞ったんだ、と肩を落とす彼の姿に、正直『そこまで悩むんなら両方買えばいいんじゃ……』と思わなくはなかったが、実際口に出したら拳が飛んでくるだろうことは明らかだったので、無言のままにその二つを見比べる。
「どっちかってーと、マカロンかなあ。プリンは日持ちと冷蔵が厳しいだろ?」
 何かあったなら全てを放り投げて現場に向かわなくてはならない立場であるのは、東海道も山陽も変わらない。うっかり自室の冷蔵庫に放り込んだまま忘れ去られて期限切れでは、折角の買い物が報われない。否、冷蔵庫に入れて貰えれば重畳、ひょっとしたら部屋の片隅に置き去り、という未来も想定出来なくはないのだ。
 そうか、と一言呟くと、それまでにこにこと逡巡する東海道を見守っていた店員の女性に、綺麗なボックスに詰められたマカロンを購入する旨を伝える。
 お支払いは、と告げる店員に電子マネーで、と告げれば、ポケットの中のひよこが「ぴい!」と得意げに一声鳴く。東海道が促すように寄せた手のひらにぴょい、と飛び乗って、据えられた端末へとちょい、とその身体を寄せた。
 軽快な音と共に支払い完了が液晶画面に表示され、またカードそのものであるひよこもそれはわかるのだろう。ぴるぴると小さな羽根を震わせて、またひとつ「ぴい!」と高く鳴いた。
 たぶん「しはらい、かんりょう!」とでも言ってるんだろうなあ、と苦笑する山陽の事など気にも留めず、ちいさなひよこはショーウィンドウの上をててっ、と走り、また東海道の手に促されてポケットの中に満足そうに収まった。
 どうやら無事に機能が作動しているのを己の目で確かめてほっとしたのだろう、東海道は店員から受け取った紙袋をぎゅっと抱きしめて、普段なら滅多に見せない柔らかな笑顔を浮かべている。

 ホントはそーゆー顔をあんまり回りに見せないで欲しいんだけどな、と勝手な事を考えながら、けれど相手にはまったく悟らせることなく、山陽はその背にそっと己の手を添えた。


■ ■ ■



 だが、現時点の山陽は知らなかった。

 この二日後に『おまえの開業祝いだ!』とこの時のマカロンを東海道に押しつけられて呆然とすることだとか。
 このひよこの小さい方が『じょーかんせんよう!』の称号を自負して、ICカードの代わりにポケットに常駐するようになることだとか。
 そのひよこがちょこちょこと歩いて端末に身を擦り寄せる様が可愛いと、東海道の行動範囲の利用可能店舗で話題になるだとか。
 ……そのひよこをポケットに入れて歩く上官の姿が可愛いと、広義の意味ではライバルと呼べる存在が着実に増える、だなんて有難くない未来を。

「よかったなあ、ちゃんとおつかいできるようになって」
「何を言う、これはウチの子なんだから、やればできるのは当然だろう!」
 あと教育係の努力と有能さを褒めろ!とメンバー中一番アレだから、と教育係を拝命した某路線が聞いたら感激のあまり卒倒しそうなことをのたまいながら、東海道は紙袋を抱きしめたまま胸を張る。
ひよこじゃないけどそんな風にしてても可愛いなあ、とにへらと笑った山陽は、目の前でふよふよ揺れる東海道の頭を「人の頭で遊ぶな!」と叫んで抵抗されながらもくしゃくしゃと掻き混ぜる。
非常に不安な未来が訪れるのはまだ先のこと、今は不穏な気配には欠片も気付かず、目の前にある光景に山陽は心を温める。
見た目よりもやわらかくて癖のつきやすいそれの感触を楽しみながら、今日も変わらずに己の前に日常が転がっているという事実を確認して、その幸福に堪え切れずに満面の笑みを浮かべたのだった。







2010.06.23.(10'春コミペーパー再録)