猟奇的な彼女
4.
左側には、仏頂面で窓の外に視線を向けたままぴくりとも動かない、確かに己の兄であったはずの女性。
右側には、おろおろと落ち着きなくひとつ席を隔てたつい先ほどまで同性の同僚だった女性を窺う上司。
『……俺、なんか悪い相でも出てんのかな……』
非常に居心地の悪い位置で、東京までの苦行を強いられた東海道本線、紛らわしいからと高速鉄道の面々にはジュニアと呼ばれる青年は、本日何度目か分からない溜息を落とした。
最悪スリッパでも東京に戻る、と強硬に主張する兄だった女性、いや、今は姉と言うべきなのか?とにかく東海道新幹線がぶかぶかの制服のまま部屋を出て行こうとするのを抑え込み、山陽と二人でどうにかこうにかなだめすかして説得して、服と靴くらいはどうにかすることを承知させた。
幸いにして同ビル内に某百貨店が入っている名駅だからして、手伝ってもらった女性職員や応対してくれた百貨店の従業員には多少の不審な視線を向けられたものの、全体としては無難なラインに抑えられたのではないかと思う。……あまりに無難なラインでまとめ過ぎて、何処からどう見ても就職活動中の女子大生にしか見えない辺りがアレではあるが。
加えてこの兄は足が早くてもあまり反射神経はよろしく無い事は、弟である自分が良く知っている。あんな格好のまま本人が主張するように通常通りに走ったら間違いなく転ぶ。それも此方の想定よりもずっと派手にあり得ないくらいにすっ転ぶ。ひょっとしたら起こるかも知れない未曾有の事故を防いだかも知れないという一点においては、ある意味山陽上官が靴を新大阪に忘れてきたのは僥倖だったと言えるだろう。
兎も角、そうして意に沿わない格好をさせられて、尚且つ業務を邪魔された兄は途方もなく不機嫌な状態にあり。
ついでにそれが暴発しないのは弟である自分にそうそう格好悪いところは見せられない、と考える兄のなけなしのプライドに因るものであり、それを知るからこそ上司の一人であるところの山陽は己をこの場所に据えた。
仕方がない事は理解している。しているけれど。
『……すっげえ居心地悪いんですけど!!兄貴は無言の圧力を撒き散らすは山陽サンは俺通り越して兄貴に一喜一憂してるしっ』
中間管理職の気分ってこんなかな、と途方に暮れてやり場のない眼差しを流れてゆく電光掲示板の取るに足らないニュースへと向けて、ジュニアはもう本日何度落としたか分からない溜息を零した。
たぶん、今自分の周りでは物凄く大変な事が起こっている。そのはずだ。
つい先ほどまでは間違いなく男性であった兄が姉になるなどと、よく考えなくても相当に衝撃的な現実である。
なのにこの緊張感と危機感の無さは何だと言うのか。
『絶対にこのバカ兄貴が悪い!つーか一番慌てなくちゃいけないのって当人じゃね?!何で俺や山陽サンがこんなに一喜一憂しなくちゃならねーんだよ!!』
微妙なマーブル模様を描き出しかねない空気の中、東京まではあと半刻。
垣間見る兄だった姉の横顔は、知らないようでいて確かに知るものでしかなくて。
東京に着いたら上司連中に丸投げてしまおう、と自棄になったジュニアは、ぎゅっと目を閉じて残りの時間をやり過ごす事に決めた。
2008.11.14.
兄の服は本人とマヌカンさんと弟と山陽の検討の結果黒のパンツスーツになりました。
ちなみに兄はまだ普通に走る気満々です。