挟まりました。


 久々に、戻ってこれた。

 首都圏が重要視されることは仕方のないことだし、そうなれば自然と東京に居る時間が増えるのは仕方のないことだ。それは己の兄も同様で、業務上はその方が効率がいい。
 けれども居心地がいいのは断然JR東海本社がある名古屋だな、と数日ぶりに訪れた東海の在来線休憩室でコーヒーを啜った。無論東日本の面々や西日本の連中との付き合いも悪くはないが、それでも此処はまた別格だ。
 何せ此処に居る限りは誰も東海道線のブラコンっぷりを論わない。何故ならJR東海所属の在来線は本線である己を除いてほぼ全てが弱小路線。故に殆どが兄である東海道新幹線をまるで現人神のように崇めており、どれだけ兄について語っても向けられる視線は憧憬のものであるのが常だからだ。
 所属会社が三社に渡る東海道本線だが、心の故郷は此処であると思っている。例え諸々の事情から滅多に帰ってこれないとしても。
 けれども、そんな東海道線の安らぎの時間もそう長くは続かなかった。

「東海道っ!!」

 叫ぶように己を呼ぶ声に、東海道線はふと休憩室のドアへと視線を向ける。聞き覚えのある声ではあるが、はていったい己に何の用なのだろうと首を傾げれば、やはり予想した通りの男が涙目になりながら休憩室へと駆け込んできた。
「東海道、東海道、とーかいどーっ!!どうしようどうしたらいい?!」
 己の名前を連呼しながら支離滅裂な問いかけを繰り返す相手に、思わず眼が細くなるのは仕方がないことだと思って欲しい。
「何なんだよ、関西……どうしようって何をどうしたらいいのか言わなきゃわかんねーだろうが」
「だってどうしたらいいのかわかんないんだよーっ!!?」
 わっ、と東海道線の膝に縋って泣き崩れるのは、JR東海+JR西日本所属・関西本線。己と同じく本線の名を冠しながらも、どうにも影の薄い男でもある。
 というか、立場は対等なのにも関わらず何をするにもこちらを窺ってから、というのが不可解だ。たぶん兄の事もあるのだろうが、もう少し自信を持ってもよかろうに……
「東海道っ!!真面目に聞いてよ大変なんだよ俺!」
「あー……悪い、思考飛んでた」
 酷いよ同僚に対する思慮が足りないよ!と泣き叫ぶ関西に、激しくデジャヴュを感じるのはどうしてだろうか。雨風や雪に負けてその度にヒステリーを起して泣き叫ぶ兄を宥める山陽の気分ってこんなかな……と考えながら、僅かに色素が薄い関西の髪を宥めるように撫でて話を促した。
「んで?何があった?言わなきゃわかんねーだろ?」
「何って、何ってアレが、どうやって上官に言えばいいのかっ……!」
「――アレ?」
 どうやら、関西は何か事故をやらかしたらしい。けれども東海道線に緊急で連絡が行くような惨事にはならず、とはいえ上官には説明のし難いこと。
「……狸でも轢いたか?」
「犬とぶつかった君と一緒にしない!いや似たようなモンなんだけど!」
「おま、言うに事欠いてそれを今言うか!俺がどれだけ兄貴に説教食らったか知らないわけじゃねーだろうがよ!!」
「知ってるから困ってるんだろ今〜っ!ああもうなんて報告書に書けばいいのか」
 一瞬昨日の悪夢を引き合いに出されてイラっとしたが(それで兄にもこっぴどく注意をされた。線路内に犬が入るのは不可抗力だというのに!)、次いで告げられた言葉にどうやら状況を悟る。
「……何轢いた?」
「轢いてない!…………けど、カメが」
 カメ、と鸚鵡返しに呟いた東海道線に、関西線の視線がそっと斜めに逸れた。がっくりと落ちた肩が、ふるふると震えている。
「か、カメが、ポイントに挟まってっ……!え、永和〜弥富間で南紀が止まっ……」
「……あー」
 それは……確かにおおごとではないが大問題だ。主に関西の精神上。
 西の上司はそんなことでぐだぐだ言うほど潔癖な性質ではないが(むしろ大笑いしてくれて別の意味で凹む可能性は皆無ではないがこの際は割愛)、残念ながら今回の事件の舞台はJR東海の管轄区域。つまりは報告しなければならないのは、己の兄である東海道上官である。
 そして兄は潔癖なまでの理想主義者故に、このような事態を許す事は決してないだろう。昨夜の己が延々と聞かされた説教が蘇りかけて、東海道線は慌てて頭を振った。
 所詮己は東海道本線。ブラコンと呼ばれようとなんだろうと、重要なのは兄、そしてJR東海。

 ぽん、と関西本線の肩に手を置く。

「……がんばれ☆」
 無責任ににっこりと笑って天井を指すと、じわりと関西の目元に涙が滲む。在来線休憩室の三階上は、高速鉄道執務室。
 諦めが肝心だぞ、と真顔で告げられた関西線は、入ってきた時と同様に泣き叫びながら休憩室を飛び出していった。
「とっ、東海道の薄情者〜〜っ!!」
 非常に納得がいかない一言を残して。


 それにしても、カメ。
「結構硬いんだな……カメの甲羅って」
 自分も以後気をつけようと心に止めて、東海道線はすっかりとぬるくなったコーヒーの残りを飲み干した。




2008.07.05.

東海道本線と関西本線。別にカップリングじゃない。
今思えば別に兄弟カテゴリでも良かったような。