王様のポケット
注)カテゴリ「東海道兄弟」のひよこ当番を読んでからお読み下さい


 その日、名古屋に寄ったのは単なる偶然に過ぎなかった。

 昨日は西日本の会議があり、経験上時間通りに終わった試しがないそれは、案の定長引いて、選択の余地無く山陽は新大阪での一泊を余儀なくされた。
 溜まった西日本統括としての業務に加えて明日は非番、更に明後日に予定された九州との会合のことを考えれば、このまま明けた翌日は一日新大阪で逗留したいのは山々だったのだが。

「さっすがに一度も顔出さずに九州に行ったら拗ねるよな、東海道」

 拗ねる、という言い回しも本人の前だったらすさまじい勢いで怒鳴られそうだが、その当人とは結局東京では会えなかった。
 朝一で東京へと向かった山陽だったが、高速鉄道のラウンジで会った秋田曰く、東海道も己と同じく本社に呼ばれて朝一で名古屋に向かったのだという。
「うええ……すれ違いかよ。アイツこっちにいつ戻るんだ?」
「それがねえ、今夜は戻らないかも知れないってさ」
「ありゃ。間が悪いなー」
 申し訳なさそうに告げる秋田にひらひらと手を振って見せて、運が良ければ新大阪に戻る途中で会えるだろうと再びとんぼ返しで帰路に就く。

 共に走って長い二人だが、所属会社の違いは大きい。
 どれだけ相手を信頼していても、多くを許していても、最優先されるべきは己の本社の都合なのは致し方あるまい。だいたい山陽だって会社の方針でなければ好き好んで九州に行こうなどとは思わない。なにせあの『つばめ』ときたら、いろいろな意味で毒が強すぎる。

「あー……やめやめ。非番前に思い出したい面じゃねーよアレ」

 ふるふると頭を振って蘇りかけた数々の息苦しい思い出を振り払い、過ぎ去ってゆく景色を眺めた。
 新横浜を過ぎて小田原、次いで富士山を眺めながら静岡県内を横断する。何度も何度も、それこそ毎日のように彼と走った路線の見慣れた景色。けれども四季折々に色を変える沿線の風景は見飽きる事もなく、ずっとこうして眺めていられればいいと思う。……そう、彼の隣りで。
 そんなことを考えながら過ごしていたせいだろうか。アナウンスが告げる名古屋の名に、思わずホームに降りた己に苦笑が漏れる。

 此処は東海道の駅。彼の拠るべき場所。
 きちんと整頓され過ぎて、生活感どころか彼の匂いすらしない私室よりずっと、彼の気配が残る場所。

「――会いたいのは、嘘じゃねーもんな」

 仕方ない、と小さく苦笑を漏らして、山陽はその足を東海道が居るであろう執務室へと向ける。他社の駅とはいえ、何度も来た事のある場所だ。勝手知ったるなんとやら、で、特に職員や在来線たちに見とがめられることもなく、重厚な扉の前へとたどり着いていた。
 さてどうやって声をかけるべきか、とわずかに思案していると、部屋の中から『わあ!?』という素っ頓狂な叫び声が聞こえてきた。己が聞き違える筈もない東海道の声に、今度は何をやらかしているのだろうと少々不安になりながら、僅かに間を置いてこんこんとドアをノックする。
 ……微妙に、どたばたとした気配と破壊音っぽいものが聞こえるのは気のせいだろうか。いや気のせいだと信じたい。
 非常に長い一瞬のあと、部屋の中から入っていい、と告げる表面上だけは落ち着いた声が聞こえた。
 これ声と態度だけ取り繕っても意味ねーだろ、と内心ツッコミを入れながら、山陽は出来るだけ何も気づいてません、といった明るい声でドアを開いた。

「とーかいどー、元気かー?」
「は?あ……え?!山陽!?」

 どうやら先ほどの破壊音はデスクの脇のダストボックスを転がした音だったらしい。見覚えのある位置からだいぶずれた位置に、しかも微妙に変形した状態で置いてある。必死で通常通りの己を取り繕ったのだろう東海道も、組んだ両手がせわしなく組み替えられているので見る奴が見れば動揺しているのが丸わかりだろう。
「おま、なんで、今日はあっちだって……」
 あわあわと視線を迷わせながら、立ち上がろうとして見事に椅子をひっくり返す様に、やっぱり意味がない、と少し目の前の同僚が気の毒になる。
「や、顔くらい見せておこうと思って」
 こりこりと頭を掻きながら告げるが、果たして東海道の耳に届いているのかどうか。倒した椅子を直そうとして何度も転がすその細い背中が、微妙に哀愁を漂わせるのは己の幻想だろうか。
「いや椅子はもういいから。とりあえず落ち着けー?」
「わ、私は落ち着いている!貴様こそこんなところに何しに来た!?」
 あーやっぱり人の話聞こえてなかったなコレ、と案の定な反応に肩を竦め、泣きそうな顔でまくしたてる東海道の背をそっと撫でた。
 濃緑色の制服が威圧感と威厳を与えるのに対して、その中身は骨が浮いているのがわかるほどに頼りない。この細い背でJRの重鎮としての責務を負うのか、と痛みのような感傷が脳裏を過るのも何度目になるか知れないが、いつまでたっても慣れる事はないように思えた。
 ならば、せめて己は重みにならぬようにしよう。支える事を許されないとしても、せめて少しでも軽くあるように。
 そう強く願った記憶は遠いけれど、消える事無くいつでも己の中にある。むしろ、彼と共に走るたびにより強く刻み込まれてゆく。
 泣くよりは怒ってくれていい、笑ってくれるなら尚更にいい。濡れた瞳でこちらを睨むように見つめる東海道の額を軽く小突いた。
「山陽さんは明日非番で明後日から三日間九州なのです。だからその前に東海道ちゃんに顔見せて、何か伝達事項とかないか聞きにきましたー」
 オッケー?と首を傾げて尋ねれば、東海道はむっすりといた顔のままこくりとひとつ頷いた。意地っ張りで天邪鬼で、しかも無駄にプライドが高いこの男だが、時々考えられないほど素直で可愛い時がある。これは共にいる時間の長い己の特権だろうな、と苦笑を零しながら、東海道の代わりに彼の椅子を元に戻してやった。
「んで?なんでそんなに慌ててるワケよ?」
「あ、慌ててなど……」
「説得力ねーよ。ほーらお兄さんになんでも話してごらんー」
 畳みかけるように問いを重ねれば、視線が更に逸らされる。何かありました、と言葉以外のすべてで語っている東海道の姿に、どうやって問い詰めたものかと思っていた次の瞬間。

 ぴい。

 予想もしない鳴き声が、東海道のポケットから小さく聞こえた。

「――は?」
「ち、違っ、なんでもない!なんでも……っ」
 必死で言い訳しようとする東海道を裏切るように、彼の制服のポケットからちょこん、と黄色いひよこが顔を覗かせた。左右のポケットに一羽ずつ、ふわふわの羽毛とつぶらな瞳を輝かせ、揃ってぴいぴいと鳴き声を上げる。
 見覚えはある。確か、自分のところのカモノハシや東日本のペンギンと同じく、JR東海ICカードのひよこ、ではなかったか。
 ただし、東海自体にやる気があるのかないのかよくわからないので、未だに電子マネーを搭載していなかったり他社との提携が適当だったりと、微妙な状況故に東海の在来線でしかお目にかかれないレアひよこたちでもある。
「……どしたの、ソレ」
「俺は無理だと言ったんだ!だが東海道がっ」
「ジュニア?」
 ポケットからひよこを覗かせ、要領を得ない言い訳を叫ぶ東海道の言葉を総合すると、どうやら。
「ええと?つまりジュニアが面倒見るはずだったんだけど?急用で上京するからそいつらをおまえに一晩よろしくって?」
 こくり、と頷く東海道の両ポケットからは、黄色いひよこが頭を覗かせぴよぴよと囀っている。本人は不本意だろうが、頼りなくハの字に寄せられた眉と相まって、制服の威力が半減してなんだかやけに可愛らしい。
 こんなの在来線や他の高速鉄道に見られたら憤死するんだろうなあ、と他人事のように考えながら、宥めるように下を向いてしまった東海道の頭を撫でる。頑張っても直らない襟足の癖毛と裏腹に、さらさらとした彼の髪の毛の手触りは山陽のお気に入りだった。まあ、滅多に触らせてくれるような事はないのだけれど。
 これは相当弱ってるなあ、と次のアクションを考えていると、ポケットの中のひよこたちがじっとこちらを見つめていることに気づく。ふわふわとした、小さな生き物。前述の通りJR東海にやる気があるのかないのかわからない故、未だに新幹線との相互利用が無く、こうしてきちんと見るのは初めてのことだと気づいた。
 なんとなく手を伸ばせば、小さな嘴が山陽の指先をちょん、とつつく。戯れるような仕草はやけに無防備で、なんとなく目の前の東海道とその弟を彷彿とさせる。
「なあ、とーかいどー。……俺も一緒じゃダメか?」
「は……?」
 囁くように告げられた問いかけに、東海道の視線がようやく上がる。
 ひよこたちと揃って向けられる視線が何故か可笑しくて、それでもようやくこちらの言葉を聞いてくれた東海道の機嫌を損ねないように、もう一度その頭を撫でて肩を抱き寄せる。
「可愛いじゃん、ひよこ。俺もちょっと遊んでみたいから、今夜はご一緒したいなって」
「……っ!!!」
 ダメか?と問いかければ、意味を理解したのか東海道の首から上が真っ赤に染まる。どうやらひよこが言い訳な事くらいは理解してくれたらしいことにさらに笑みを深くして、背に回した腕に力を込めた。

 弱点だらけだけど、己の理想に向けて努力し、またそれを怠らない東海道。
 決して完全無欠な王様ではないけれど、ちいさなひよこにポケットを占領されても、扱いに困ってうろたえるだけの彼だからこそ、自分たちは彼を慕うのだろう。
 強いだけでなくてもいい、こんな弱さはきっと優しさの別面でもあるからこそ、それを無くして欲しくないと山陽は思う。

 やがて、そろそろと回された東海道の指先が山陽の制服をぎゅっと掴む。
 控え目に過ぎる東海道の意思表示を応援するように、彼のポケットの中のひよこたちが、揃ってぴい、と声を上げた。




2008.07.08.

お使い機能もだけど新幹線定期は未だに磁気カードなので、早く東海道上官と仲良くなれるといいと思う。