幸福のチョコレート


 東海道がこっそりと甘党だというのは、もはや高速鉄道内では暗黙の了解といっていい。それはもう秋田が美味しいものをたくさん食べるのが大好きなのと同程度には。
 当人は決してグルメではないが、育ちの良さがものを言うのか自覚よりずっと舌が肥えていて、生半可なものでは彼から美味しい、という称賛を引き出すのは難しかったりする。
 だが、こと甘いものに関してはその存在だけで特別だと言わんばかりに素直に崩れる表情が普段の傲岸不遜な態度が信じられないくらいに幸せそうに見えるものだから、他の面々もついつい彼への土産やちょっとした差し入れは甘いもの、というのが定例になってしまっていた。
 どれも砂糖の塊にしか感じられない、と豪語するどちらかというと辛党の上越でさえ、秋田や長野と幸せそうに口に運ぶ東海道の顔に絆されるようにちょこちょこと残業中の東海道に何かしらの菓子類を差し入れていることを知っている。そんなだから、他の面々など推して知るべし、といったところだ。

 しかしあんだけいろいろ食わせてもちっとも肉がつかんのはどういうわけだろう、と絶賛テンパリング中のクーベルチュールチョコを一瞥し、山陽ははて、と首を傾げた。
 確かに量は食わない、否食えない男ではあるが、それなりの熱量は周囲が総出で与えている筈なのだが。
 それでなくてもちょっと無理をすると直ぐに肉が落ちるので、山陽も彼の弟である東海道本線も何くれとなく飯の心配をするのが既に日常と化している。それでも東京詰めの時は高速鉄道の面々がそれとなく気を配ってくれるので、以前に比べれば労力は格段に減ったのだけれど。
 それはそれでさびしい、と思ってしまう辺りが自分と彼の弟の業みてーなモンなのかなあ、とひとりごとを呟くものの、自分以外の人影がないキッチンの静かな空気に溶けて消えてゆくばかりだ。

 切っ掛けはなんだったか、今となってはもう明確には思い出せないのだけれど。
 何時の頃からか、バレンタインには東海道にチョコを渡すのが年中行事のひとつになってしまっている。年々彼の開業日の度に製菓のスキルが上がるに従って、市販のものから手作りのそれへと移行してどのくらいが経過しただろう。
 今は本職顔負けの腕前だと自負する手つきでボウルの中のチョコレートをじっと見つめる。
 その艶やかな色合いとへら越しにもやわらかな感触、確かめるようにぺろりと舐めた舌先から広がる味は山陽の好みよりは随分と甘いミルクチョコレート。ざらつきも油脂のべたつきもない事を確認して、既に用意しておいたザッハ・マッセの上からむらにならないように塗る、というよりはぶちまけて、今年の力作、ザッハトルテはあとは冷えるのを待つだけだ。
 正直甘いものが得意で無い上越はおろか自分でも一切れも完食は難しい甘さだが、東海道ならば嬉々として口に運んでくれることだろう。最悪彼が食べきれなかったとしても、東京に持って行けば誰かしらが消費してくれるだろう。……いや、固有名詞で誰とは言わないけれど。

 たぶん、これもまた大義名分だ。
 理由など何でもいい、ただ山陽という男が、東海道が笑う顔が見たいだけ。常に厳しい顔をしている彼の相好を崩すことができるのなら、それが何であっても構わないのだから。
 ぼんやりとケーキにコーティングしたチョコレートが冷えて固まるのを待ちながら、山陽はゆっくりと天井を仰ぐ。
 何時だって笑っていて欲しい。それが無理なら、せめて好きなものくらいは我慢しなくてもいいようにしてやりたい。
 結局俺ってアイツに弱いんだなあ、と苦笑しながら、そろそろ固まり始めた艶やかなチョコレートの表面を見つめる。褐色の光を弾く円形のケーキはとても綺麗だけれど、少しばかり殺風景な気がしないでもない。
「バレンタインだからなあ……ハートでも描いとくか?」
 完成予想図を頭に浮かべてみて、即座に拳を振るう東海道が頭をよぎったので思いつきはすぐさま却下することとして、まあ何か飾る、というのは悪くは無い気がする。
 東海道が喜ぶもの、と呟きながら、山陽は再び天井を仰ぐ。

 何度繰り返しても、東海道とのこうしたイベントはどこか新鮮な驚きとワクワクする期待感と、ほんのりと胸を温める幸福に満ちている。
 今年もまた彼と過ごす時が穏やかにあること、それはきっと何にも勝る僥倖に違いないのだから。
 記憶に焼きついた毎年の彼の笑顔を思い浮かべながら、山陽は己もまた薄らと頬笑みを零した。



2009.02.14.

バレンタイン小噺・山陽編。もうちょっと続くよ!