雨音


 暴風、豪雨、降雪。
 そういった突発事態に弱いのは、もはや古い架線の宿命のようなものだ。

 東海地方は3日夜から4日早朝にかけ局地的に猛烈な雨に見舞われ、静岡県富士市では4日午前3時半からの1時間で111.5ミリを記録。

 ……当然のように東海道本線は熱海〜静岡間で、兄である東海道新幹線は三島〜静岡間で始発から足止めを食らい、ガタガタのダイヤでスタートした一日は突発事態に弱い兄でなくとも憂鬱な気分になる。
 諦めてしまえば楽になれるのかも知れないけれど、諦めるには此処はあまりに他の選択肢が少ない区域で、今も不安そうに遅延情報を見守る乗客の数に溜息がひとつ零れ落ちる。

 建設当時の最善が、今も最善であるわけがない。

 社会が、産業が、技術が。年月の流れと共に様々なものが推移して、運送手段ももはや自分が絶対ではない事を知っている。
 優先されるべきは乗客の安全。たとえ運休を決めた事を恨まれようとも、起こるかも知れない事故を考えればこの判断は正しい。失われてしまったら二度と戻らないのだと、幾度も経験した事故は骨身に染みているからだ。
 実際に正午を過ぎようという現在では、多少の運休列車を出したものの徐々に遅れは取り戻しつつある。
 朝方には自分と同じように静岡駅で蹲って爪を噛んでいた兄は、一足先に遅れを立て直して今は通常運行に戻っていた。兄のメンタル面が弱いのは事実だが、それ以上に業務に対する姿勢と能力を買われてあの地位にある事を、JR東海に所属する路線の誰もが知っている。
 自分ほどではないが遅れや運休を余儀なくされた身延や御殿場が、今はもう何事もなかったかのように高架を走る東海道新幹線を、崇敬の眼差しで見つめている。
 もう何度もあったこんな状況に、いつも腹立たしさと誇らしさがないまぜになった気持ちを味わう。東海道新幹線が兄であること、それ自体を厭ったことなど一度もないのに。

 空は、既に太陽を覗かせている。
 良い天気になるに違いない。

 雨に濡れた架線を、確かめるように走る。ダメージは無い。
 途中幾度も並走する区間で兄とすれ違い、交差する視線はこちらの安否を気遣うような深い色をしていた。
 余計な御世話だ、と自分の中の素直でない部分が喚くのをなけなしの理性で抑え込み、本日ばかりは静かに笑みを返してみせる。
 地方在来線と新幹線の関係など、上下でしかないことなど理解している。例え密接に関連しようとも、やはり上官の存在は特別なのだ。上官として以上に在来本線を気遣ってくれる新幹線など聞いた事もない。あの気安く陽気な山陽上官でさえ、部下にはそれなりの規律を以て接しているというのだから相当だ。
 だから、この気遣いは在来線に対するものではなく、弟に対するもの。
 だとしたら、自分も上官にではなく兄に対して心配してみせても笑ってみせてもいいはずだ。
 素直になれないのはお互い様だね、と名鉄辺りに揶揄された記憶もそう遠くない。結局は自分は兄が好きで、兄も自分を大切に思ってくれている事を知っているのだから。

 太陽は既に真夏の匂いを運んでいる。
 梅雨はもう少し続くだろうけれど、直ぐに灼熱の季節はやってくる。
 未曾有の本数を臨時で出す兄と山陽上官は、それこそ忙しいの一言では済まない季節になるだろう。
 爪を噛んでうずくまるだけで済んでいた今日など大した事はない。本当にどうしようもないことになったなら、乗客の期待に答えられない不甲斐なさに泣き喚くかどん底まで落ち込むか、どちらにせよ扱いに困る状態になる事は目に見えている。

 雨音は既に遠い、けれど湿った空気の中。
 そうなったら冷たいお茶でも差し入れてやろうと薄く唇に笑みを刷いて。
 東海道本線は各駅で復旧を待つ乗客を運ぶべく、先へと続く線路を急いだ。




2008.07.04.

本日富士市辺りの豪雨でひどい目にあった東海道兄弟から妄想。
でも夏よりも冬が問題、東海道Jr.は雨も雪も降ってなくても強風で止まる切ない子…!